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【シレトコってどんなトコ】第9回:松浦武四郎と知床

【シレトコってどんなトコ】では、知床の特徴や地域資源などの情報を地元目線でお伝えしています。第9回は、江戸時代の終わりから明治にかけて活躍した探検家で、「北海道の名付け親」でもある松浦武四郎と知床との関わりについてご紹介します。

2018年は北海道命名から150年。道内ではさまざまな記念事業が行われており、松浦武四郎の生涯についても北海道150年事業公式サイトの中で詳しく紹介されています。
(北海道150年事業公式サイト)

松浦武四郎は6度にわたる蝦夷地(北海道)の探査を行い、アイヌの人々の協力を得ながら、蝦夷地の詳細な記録を残しました。そのうち3度は知床半島にも訪れました。1863年刊行の紀行文『知床日誌』などで当時の様子を知ることができます。

『知床日誌』には当時沿岸に多くあったアイヌ語の地名、伝説に関する詳細な記述のほか、知床に生息する鳥や海獣類について記した部分もあり、興味深い内容となっています。

例えば『知床日誌』には「傍に岩洞多し。其中にカウリリと云う鳥有」という記述があります。現在カウリリはウノドリ(鵜)と訳されていますが、『知床日誌』の基になった武四郎の『戌午志礼登古日誌』や『午第七番手控』(野帳)まで遡ると、大きさは鳩より少し大きい、惣身黒灰色、眼の周りが白い、足は紅色などの特徴が書かれており(秋葉実氏訳による)、海鳥のケイマフリのことを記述したものと思われます。



実は斜里町ウトロのオロンコ岩近くには、松浦武四郎の功績を顕彰する碑があります。記録によると武四郎は調査中、ウトロの漁業番屋「東出番屋」(現在の北こぶし知床 ホテル&リゾート付近)に宿泊しました。東出番屋は1983年にオロンコ岩近くに移築されましたが、同年の大波で大破。5年後の88年に地元有志による松浦武四郎没後百年記念協賛会がそのそばに碑を建立しました。現在知る人ぞ知るスポットになっていますが、興味のある方は足を運んでみてはいかがでしょうか。

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