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【Interview】第1回:田中俊次さん

【Interview】では、知床自然大学院大学設立財団やワイルドライフマネジメント、知床の自然に関わる方々を紹介していきたいと思います。第1回目は、当財団の田中俊次・代表理事(東京農業大学名誉教授)です。

■田中さんと知床の関係はいつからですか?

私は福岡県福岡市の出身です。周囲にたくさん田んぼがあって、幼い頃はカエルを捕まえて遊んでいた記憶があります。大学進学時に上京して経済学の修士号を取得し、いくつかの大学で非常勤講師などを務めていました。その頃ちょうど東京農業大学が網走市にオホーツクキャンパス(注1)を開学することになり、経済学の先生がいないということで、縁あって声がかかり網走に行くことになりました。北海道には全く縁がなかったので、最初妻に相談したら、「ぜひ行きましょう!」とのこと。自然が大好きな妻の後押しがあったから今があると思います。

1989年に網走に来て、最初に借りた家の大家が、木下木材工業の当時の会長さんだったんです。木下木材といえば、羅臼岳登山口の有名な山小屋「木下小屋」の由来になっている木下弥三吉さん(注2)が始めた会社。今思うと、これも知床との縁だったのかな。その後90年代後半から、斜里町の中心市街地活性化に関する委員会で委員長を務めたり、商工会の商品開発事業に携わったりすることになり、たくさんの町の人と知り合うことになりました。



■現在は斜里の峰浜地区(注3)にお住まいですが、住むきっかけがあったのですか?

これも妻のおかげです。町や商工会の仕事でしょっちゅう斜里に通っていたので、時々は家族も連れて行っていたんです。そうしたら妻が「海も山も、こんなにきれいに見えるところはない!」と峰浜を気に入りまして、地元の人に土地を紹介してもらい、99年に家を建てました。

当時私の研究室には、地域活性化に興味のある学生がずいぶん集まってきましてね。実際の現場を見るのが何よりの勉強だということで、学生を町の会議にオブザーバー参加させてもらったことも。また研究室のコンパを毎年峰浜の自宅でやりまして、多いときは50人近くでバーベキューをしましたね。当時の学生の何人かは斜里で職を得て、今も斜里で活躍しています。斜里好き人間が集まってきたんですね。

■高等教育機関(知床自然大学院大学)の設立に向けての思いは?

教育機関が簡単にできるとは思っていませんが、熱意だけは強く持ち続けなければと思います。人の熱で物事は進みますから。詳しくはニュースレター第11号を読んでいただけるといいですね(ニュースレター第11号「野生生物管理のスペシャリスト育成を目指して」)。知床の自然を大事にしてきた町民の思いに寄り添い、このプロジェクトを進めていきたいと考えています。

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田中 俊次(たなか・しゅんじ)
1948年、福岡県福岡市生まれ。知床自然大学院大学設立財団代表理事。東京農業大学名誉教授。経営学博士。斜里町中心市街地活性化基本計画策定委員会委員長、斜里町自治基本条例策定委員、斜里町知床自然大学構想つくり協議会会長など歴任。知床の海別岳山麓に住んで18 年になる。

(注1)1989年、網走市に誕生した東京農業大学生物産業学部のこと。現在は「生物生産学科」「食品香粧学科」「地域産業経営学科」「アクアバイオ学科」の4つの学科がある。
(注2)昭和初期に知床連山の登山道を開拓した人物。「木下小屋」のほか、羅臼岳登山道の水場にも「弥三吉水」と彼の名前が付けられている。
(注3)斜里市街地からウトロ方面へ向かう途中にある海別山麓の地区。長い直線道路が天に続くように見える「天に続く道」などの観光スポットも。
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